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【アラベスク】  第17章 来し方の楔



第2節 想われ心 [18]




「そんな適当に決めちゃって、本当にどうにかなっても知らないぞ」
「いいよ」
「いいよって、あのねぇ」
 右手で頬杖をつく。
「あのさぁ、本当にお兄さんに会って、それで解決するのか?」
「何が?」
 キョトンと目を丸くするツバサ。
「ツバサ、アンタさ、お兄さんばっかり追いかけてるみたいだけど、本当にお兄さんに会えば問題解決するの?」
「え?」
「お兄さんに会っても、あの、その、つまり、里奈が蔦の元カノだって事実には、変わりないと思うし」
 口ごもる美鶴にツバサはしばらく考え、やがてゆっくりと口を開いた。
「きっと、大丈夫だと思う」
「何が?」
「お兄ちゃんに会って、話を聞いてもらえれば、きっともっと前を向くことができると思うの」
「何で?」
「何でって、前にも言ったでしょう」
 ツバサは腰に手を当てる。
「お兄ちゃんは私と違って、無口だけど頭良くって、意思が強くって、幼稚な私の事も拒絶しなくって、暖かくって大きな人だった」
 少し遠くを見つめる。
「だからきっと、そんなお兄ちゃんなら、もっと強く前を向いて歩いて行ける方法を、教えてくれると思うんだ。ううん、教えてもらえなくてもいい」
 強く首を振る。
「お兄ちゃんの姿を見たら、きっとそれだけで前を向く事ができると思う。もうきっと、シロちゃんとコウの事でウジウジ悩んだりしなくても済むと思う」
「何で?」
「そういう姿を、見せてくれると思うから」
 ハッキリと、断言する。
「お兄ちゃんの、前向きで強い姿を見る事ができたら、暖かくて優しい姿を見る事ができたら、それだけで私も前を向くことができる気がする。だから、お兄ちゃんに会えば、必ず、きっと、何かが変わる」
 ニッコリと笑うツバサを見ていると、美鶴はもうこれ以上は何も言えなくなってしまう。
「じゃあ、行くね。遅くなるのも嫌だから」
「あ、うん」
 クルリと反転し、意気揚々と去って行く姿を見送る美鶴。
 これで、本当にいいのだろうか?
 確かに、前向きな人と話をしたりすると、自分にも前向きな気持ちが沸いてくる事はあるのかもしれない。そもそも、会いに行けと言ったのは自分だ。
 だけど、あの人は。
 有無を言わせず美鶴を突き放した涼木魁流。ツバサの電話にも出ようとはしない彼。
「いいのかなぁ?」
 思わず呟いてしまった声に、思わぬ返事が返ってくる。
「何が?」
 突然の声に飛び上がる。駅舎の入り口で、少し垂れた瞳が目を丸くした。





 違うなぁ。
 ツバサはホテルのロビーでオレンジジュースを啜る。エアコンが効きすぎて喉が渇く。ズズッと音を立てながら、ロビーを行き交う人々を眺める。
 だいぶ経ってるから、変わってるだろうなぁ。でもお兄ちゃんだし、見間違えるハズは無いと思う。
 記憶の中の兄を思い浮かべ、面影を目の前の一人ひとりと照らし合わせていく。
 うーん、あの人は雰囲気は似てるけど、ちょっと老け過ぎ。あの人は背が低いかなぁ。伸びる事はあっても、縮む事はないだろうしなぁ。
 いつの間にかオレンジジュースは無くなり、仕方なく氷を噛み砕く。
 それにしても、ホテルって結構人の出入りが激しいんだなぁ。まぁ、あのレストランのケーキバイキング目当てっぽい人がほとんどだけど。
 テレビにも出るような人が事務所変わりに使っているのだからどれほどご立派なホテルなのかと思っていたが、あまりに普通で拍子抜けした。一般人も当たり前のように出入りしている。もっとも、誰もがそれなりにお洒落をし、たとえジーパンであったとしても、一本千円を切るような代物を身に付けている者はいない。家族で海外へ旅行にも行った事のあるツバサは、セキュリティーで重層に警備しているホテルなどにも足を踏み入れた事はあるので、そのような建物を想像していた。会員制で、一般の客などは存在しない。
 この広いロビーにも、澄ました人々が闊歩している。安いホテルではないだろう。
 チラリと視線を投げる先では、女性たちがケーキ皿を手にそわそわと行ったり来たり。
 さっきの二人組、諦めて帰っちゃったよね。もうちょっと待てば入れたと思うんだけど。
 しかし、レストランで談笑する人々は、甘い香りに包まれながら優雅な午後を楽しんでいるようで、フォークを持つ手が止まっても、席を立つ人は少ない。まったりと時間ギリギリまで居る人も多いのかもしれない。満腹になればサッサと客が立ち去る回転の速いラーメン屋や回転寿司屋とはワケが違うようだ。
 ケーキかぁ。
 クゥと腹が鳴る。年頃の娘には甘い誘惑。
 ケーキなんかに惹かれてる場合じゃないでしょ。
 とは言いながら、チラリと見ずにはいられない。
 レストランから一人、女性が出てきた。三十台後半か、四十台といったところか。派手やかな身形(みなり)で、満足そうに身体を揺すっている。
 一人でケーキバイキングかと思いきや、少し後ろから若い男性。付き人かという雰囲気で、女性の声にやんわりと笑う。
 綺麗。
 でもあの人、男性だよねぇ。あんな人を連れて歩くなんて、あの女性、お金持ちかな?
 ボンヤリと二人に見惚れていると、ふと男性の視線がこちらを向いた。ツバサと一瞬、重なった。
 男性の足が止まった。同時に、ツバサの背中にも電流が走る。思わず立ち上がる。
 二人の間には距離がある。派手な女性は気付かない。
「じゃあカイちゃん。あの子の世話、お願いね」
「あ、はい」
 呆けていた男性は、慌てて女性に頭を下げる。女性はその態度に満足そうに笑い声をあげる。
「じゃあ私、そろそろ行くわ。夕食の場所はわかっているわね」
「はい」
「遅れないでね。あの子もちゃんと連れてきてね」
「わかっています」
「じゃあ、行ってくるわ」
「はい、お気をつけて」
 男性は一礼し、その姿に女性は背を向ける。フロントの前を通り過ぎてホテルを出て行く。
 身を起こし、その姿を見届けた魁流の前に、別の人物が立ち塞がった。
「お兄ちゃん?」
 魁流は、思わず視線を背けた。







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